経津主神(フツヌシ)は、「香取さま」の名で知られ、建御雷之男神と並び称される武神です。香取神、建布津神、豊布津神、布都御魂神、斉主神、伊波比主神などとも呼ばれます。
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経津主神(フツヌシ)とは
経津主神(フツヌシ)は、関東地方を中心に全国に点在する香取神社の総本宮・香取神宮(千葉県)の祭神で、一般には「香取さま」の名で親しまれています。経津主神(フツヌシ)を分祀する社は、全国に約二千五百社あるといわれています。
経津主神(フツヌシ)の神名の由来
神名の「フツ」は、鋭い剣でものを切り裂くさまを表します。「ヌシ」は神の意味で、神剣の化身と考えられています。その神格は建御雷之男神と共通する点が多く、斎主神(いわいぬしのかみ)という別名もあります。
古事記と日本書紀による経津主神(フツヌシ)の違い
日本書紀には経津主神という名で登場しますが、古事記では建御雷之男神(タケミカズチ)の別名である建布津神(タケフツ)や豊布津神(トヨフツ)に存在がうかがわれるのみで、経津主神という名前は出てきません。
日本書紀にはどう記されている?
日本書紀によれば、伊邪那美神(イザナミ)に大火傷を負わせた火之迦具土神(ヒノカグツチ)を伊邪那岐神(イザナギ)が斬り殺した際、高天原の河原にある五百筒磐石(いおつのいわむら)にしたたった血が変じて神となった磐筒男(イワツツノオ)・磐筒女(イワツツノメ)の御子と記されています。
古事記に登場する建御雷神(タケミカヅチ)
古事記にも同様の神話がありますが、剣の鍔に付着した血が湯津石村(ゆついわむら)に飛び散り、建御雷之男神が生まれたと記されています。古事記では、建御雷之男神は葦原中国を受け渡すよう大国主神(おおくにぬしのかみ)に迫る高天原からの最後の使者として登場し、国譲りを成功させています。
古事記では地上に派遣されたのは建御雷之男神のみで、その剣は布都御霊(ふつのみたま)と呼ばれていました。また、建御雷之男神の別名は建布都神とも豊布都神ともいわれており、これらはいずれも経津主神を思わせる名称です。以上の類似性から、経津主神と建御雷之男神の両神を同神とする説もあります。
経津主神と建御雷之男神の類似性
経津主神も建御雷之男神も、藤原氏の氏神として春日大社に祀られているほか、宮城県の塩竈(しおがま)神社のようにともに祀る神社もあります。また、経津主神は香取神宮の、建御雷之男神は鹿島神宮(茨城県)の祭神です。香取神宮と鹿島神宮は距離的にも近く、秋の祭礼では船が行き来するなど、神霊同士が近しい関係にあります。
このように経津主神も建御雷之男神は同じ神のように考えられ、古来からきわめて近似した扱いを受けてきています。
経津主神(フツヌシ)の神格
- 剣神
- 武神
経津主神(フツヌシ)のご利益・神徳
- 開運招福
- 厄よけ
- 殖産興業
経津主神(フツヌシ)の別の呼び方・異称
- 布都御魂神
- 伊波比主命
- 斎主神
経津主神(フツヌシ)を祀る主な神社・神宮
経津主神(フツヌシ)と関わりが深い神々
経津主神(フツヌシ)と関わりが深いのは、なんといっても建御雷之男神です。
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