建御雷神(タケミカヅチ)は、天照大御神によって高天原から葦原中国に遣わされ、力自慢の国津神を諏訪へ追いつめて屈服させた武神です。その呼び名は多く、建御雷之男神、タケミカヅチノオノカミ、たけみかづち、武甕雷男神、建雷命、武甕槌、布都御魂神、建布都神、豊布都神、鹿島様などとも呼ばれます。
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建御雷神(タケミカヅチ)とは
建御雷神(タケミカヅチ)は茨城県の鹿島神宮の祭神で、一般には「鹿島さま」と呼ばれて広く親しまれています。鹿島神宮から直線距離にして十数キロの隣地に祀られる千葉県の香取神宮の祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)と並び称される剣の神、武神としても知られています。
建御雷神(タケミカヅチ)の神名の由来
神名の「建(たけ)」は勇ましいという意味、御雷(みかづち)は「みいかづち」の「い」を略したもの、「いかづち」は「厳(イカ)」の(ツ)「神霊(チ)」、つまり勇猛に鳴り響く厳しい神霊で、雷電の神をあらわしています。
建御雷神(タケミカヅチ)の誕生
建御雷之男神も石折神(いわさくのかみ)・根折神(ねさくのかみ)と同じように、伊邪那岐神(イザナギ)が火之迦具土神(ヒノカグツチ)を斬り殺したとき、剣の鍔(つば)に溜まった血が湯津石村(ゆついわむら)※磐石(いわむら) に飛び散り、そこから出現しました。
日本書紀にも同様の記述がありますが、そこから生まれるのは経津主神(フツヌシ)です。古事記では建御雷之男神が、日本書紀では経津主神が重視される傾向があります。
国譲り神話における建御雷神(タケミカヅチ)の活躍
建御雷之男神は、古事記では大国主神(オオクニヌシ)の国譲りの場面に登場します。
高天原の主神である天照大御神(アマテラス)から特命を受けて、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)とともに葦原中国に遣わされます。そこで、国譲りに最後まで抵抗した力自慢の国津神で、大国主神の御子である建御名方神(タケミナカタ)をみごとに打ち破ります。さらに信濃の諏訪まで追いかけ、とうとう服従させることに成功します。
つまり建御雷之男神は、葦原中国の征服を画策する天津神たちの切り札だったのです。
建御雷神(タケミカヅチ)の異称
建御雷神・建御雷之男神(タケミカヅチ)は別名を武甕槌神、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)といい、古事記では石筒之男神(いわつつのおのかみ)とも同一視されています。
建御雷神(タケミカヅチ)が携える神剣の魂
建御雷神が携える神剣の魂をとくに、佐士布都神(さしふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)、布都御魂(ふつのみたま)としています。ちなみに「フツ」というのは、物を断ち切るときの擬態語です。建御雷之男神の神剣は、東征中に熊野で難局に直面した神武天皇に与えられることになります。
藤原氏の氏神に
藤原氏が、一族の氏神として建御雷之男神・武甕槌神を勧請した地に祀られた社が、のちに春日大社となりました。
建御雷神(タケミカヅチ)の神格
- 雷神
- 剣神
- 武神
建御雷神(タケミカヅチ)のご利益・神徳
- 武道守護
- 国家鎮護
- 病気平癒
建御雷神(タケミカヅチ)の別の呼び方・異称
- 武甕槌神
- 建布都神
- 豊布都神
建御雷神(タケミカヅチ)を祀る主な神社・神宮
建御雷神を祀る神社は数多くあります。その中でもとくに有名なのが鹿島神宮と春日大社です。
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建御雷神(タケミカヅチ)と関わりが深い神々
建御雷神(タケミカヅチ)は、天津神・国津神ともに関わりが深い神々が多くいます。その中でも天照大御神(アマテラス)や大国主神(オオクニヌシ)など国譲りに関わる神様と関連が深いと言えます。
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