神武天皇(ジンムテンノウ)・神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は、高千穂から東征し、大和に王権を築いた初代天皇です。異称がとても多く、神日本磐余彦火火出見尊、神日本磐余彦尊、始馭天下之天皇、始馭天下之天皇、彦火火出見命、豊御毛沼命、若御毛沼命、豊毛沼命、若御毛沼命、狹野尊、彦火火出見などとも称されます。
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神武天皇・神倭伊波礼毘古命とは
神武天皇・神倭伊波礼毘古命の神名の由来・意味
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)とは、初代天皇である神武天皇の和名です。
神名の「神」は美称、「倭」は古代王権が築かれた大和地方(奈良県)のこと、「伊波礼・磐余(いわれ)」は現在の橿原市あたりを指しています。
つまり、「大和の磐余という場所に宮殿を構えて治世を行った貴い男子」という意味になります。別名に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、あるいは狭野尊(ささののみこと)などがあります。
伝説上の天皇である神武天皇
実名は彦火火出見(ヒコホホデミ)といいます。これは、祖父の火遠理命(ホオリ)の異称と同じです。つまり、天孫・邇邇芸命(ニニギ)の正式な血統であることを表します。また、始馭天下之天皇(ハツクニシロシメシシ)という異称は「はじめて天をお治めになった天皇」という意味を持ち、後代の第十代天皇・崇神の異称とも共通しています。
こうした理由などにより古事記や日本書紀においては初代天皇という位置づけでありながらも、神話伝承と歴史的事実をつなぐ伝説上の人物と考えられます。このため多くの歴史学者は神武天皇は実在しなかったと断定しています。
神武天皇の伝承
記紀神話にでてくる神武天皇・神倭伊波礼毘古命の伝承は、紆余曲折・波瀾万丈そのものです。
南九州の高千穂から長い時間をかけて東へと遠征し、途中で各地の有力な豪族・国津神を平定しながら進軍します。しかしすんなりとは大和に入れないばかりか、攻略に費やした期間もとても長い時間です。
最初に大和に攻め入ったとき、長兄である五瀬命(イツセ)が深手を負って亡くなってしまいます。これは太陽・皇祖神に向かって進軍したためであろうと考え、いったん南方の熊野まで迂回します。そこで天津神の助けを得て、入念な準備をしながら吉野の山中を越え、再び大和の背後に攻め入ります。
こうした多岐にわたる膨大な物語が、実はすべて神武天皇・神倭伊波礼毘古命の英雄一人の事跡であるとは考えにくくもあります。むしろ、古代の王権交代をめぐり複数の人物や氏族の間に抗争があり、そうした史実が神武東征のエピソードに反映されていると考えことができます。
神武天皇・神倭伊波礼毘古命の神格
- 建国の神
神武天皇・神倭伊波礼毘古命のご利益・神徳
- 国家安泰
- 艱難克服
神武天皇・神倭伊波礼毘古命の別の呼び方・異称
- 神武天皇
- 始馭天下之天皇
- 彦火火出見命