猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)は、天之八衢で瓊瓊杵尊をはじめとする天孫一行を迎えた有力な国津神です。猿田彦、猿田毘古神、サルタヒコ、サルタビコ、猿田彦大神、猿田彦命、精大明神などとも呼ばれます。
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猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)とは
猿田毘古神(サルタヒコ)は、現在の伊勢地方に本拠を置いていた、きわめて有力な国津神であったと考えられています。
天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂に降り立ったとき、高天原と葦原中国の境にある天之八衢(あめのやちまた)、つまり道がいくつにも分かれている場所で天孫一行を出迎え、彼らを案内したことから、境界の守護神、あるいは道の神(道祖神)とも習合しました。
古事記と日本書紀によるサルタヒコの違い
古事記と日本書紀では、その描かれ方に大きな違いを見ることができます。
古事記では、まさに天にも地にもその光が届き輝く神々しい神として描かれているのに対し、日本書紀では、背は二メートル余もあり、眼光鋭く、長い鼻や手足をもったどちらかといえば異形の悪鬼のような姿だったと記されています。この容貌から天狗の首領とも目されています。
古事記と日本書紀の違いは、それぞれの編者が国津神全般や猿田毘古神に対して親近感を抱いていたか、もしくは距離を置いていたかどうかで、記され方に違いが生まれたのではないかと、考えられます。
天孫降臨と猿田彦(サルタヒコ)
天孫降臨において、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)ら天孫一行は、行く手に立ちふさがる猿田毘古神を疑い畏れ、天宇受売命(アメノウズメ)を交渉に向かわせます。天孫が猿田彦(サルタヒコ)に対していきなり武力行使に出るのではなく、仲介者を立てて様子をうかがったという点で、猿田彦(サルタヒコ)の力がどれだけ大きかったのかを察することができます。天孫の目には、猿田彦(サルタヒコ)が一筋縄ではいかないと映ったのでしょう。
天宇受売命(アメノウズメ)と猿田彦(サルタヒコ)
天宇受売命(アメノウズメ)は交渉をすませた後に、天孫の命により猿田毘古神の妻(監視役)としてつきしたがい、伊勢に移り住むことになります。
このとき瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、天宇受売命の功績をたたえ、猿女君(サルメノキミ)の名をあたえます。猿女君とは、のちに宮中祭祀における巫女や女儒(めのわらわ)を輩出した神官職のことです。また猿女には「戯る女(さるめ)」を意味するとの説もあります。
古事記では、猿田毘古神に好意的な描写がされており、実はこの編者のひとり稗田阿礼(ひえだのあれ)こそが、猿女君の末裔ではないかという説もあります。
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)の神格
- 道の神
- 国土の守護神
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)のご利益・神徳
- 災難よけ
- 交通安全
- 殖産興業
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)の別の呼び方・異称
- 猿田彦大神
- 猿田彦命
- 精大明神
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)を祀る主な神社・神宮
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)と関わりが深い神々
猿田彦・猿田毘古神(サルタヒコ)は天孫降臨に関わる神々と深い繋がりがあります。天孫降臨については瓊瓊杵尊・邇邇芸命(ニニギノミコト)をご覧ください。
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