八天狗の筆頭・太郎坊ゆかりの火伏せの神「愛宕大権現(あたごだいごんげん)」
愛宕大権現とは
愛宕山といえば、京都人にとっては『火迺要慎(ひのようじん)』のお札をいただく山であり、「千日詣(せんにちもうで)」の山でもあります。「千日詣」は7月31日の夜から翌早朝にかけて登拝する行事で、この日に登ると千日分の火伏せ・防火の御利益がいただけるといわれています。
古来、丹波国との境に接し、都のある山城国の中で最初に朝日を受けることから朝日峰と称されていました。おそらく早くから山岳修行と死者供養の山であったと考えられます。平安時代にはそれに都の西北鬼門にあたる王城鎮護の山という性質も加わります。
社伝によれば役小角(えんのおづぬ)と泰澄(たいちょう)の開基と伝わっていますが、今の愛宕神社につづく寺社の最初は、天応元年(781年)、僧慶俊(けいしゅん)が阿多古社を愛宕山中に遷し、同年、和気清麻呂(わけのきよまろ)が白雲寺など五か寺を建立して愛宕大権現と称したとされるあたりだと思われます。
九世紀には国家的修法である薬師悔過法(やくしかいかほう)を行う七高山のひとつに選ばれ、「愛当護神(あたごのかみ)」の名で従五位の神階が与えられるなど、愛宕山の神はしだいに重く考えられていきます。
神仏習合の時代、当山の本殿には愛宕権現の本地仏である勝軍地蔵、現在の若宮社である奥の院には愛宕山の天狗太郎坊が祀られたといいます。
勝軍地蔵は、地蔵という名でありながら馬に乗り、甲冑を身につけた特異な姿です。もとは坂上田村麻呂が蝦夷を討伐した際にこの世に現れたといわれます。これは愛宕山が国家鎮護の山となったことと軌を一にして祀られたと考えられ、田村大将軍の武功と「勝軍」の響きから武家の守護神として崇敬を集めるようになります。
一方で天狗太郎坊は、全国八天狗の筆頭にして山伏修験の象徴的存在です。彼らは野外での護摩や火渡りなどの荒行で知られます。それが愛宕行者=火伏せの霊験として一般化し、やがて愛宕信仰の主流となっていきました。
これらを複合した信仰の力によって、愛宕神社は全国に約九百もの分社を数える総本社へと発展していったのです。
愛宕大権現の神格
- 愛宕山(京都府)の守護神
愛宕大権現のご利益・神徳
- 火伏せ
- 火災除け
愛宕大権現を祀る主な神社・神宮
愛宕大権現をお祀りする神社は全国に数多くあります。ここでは京都府京都市に鎮座する愛宕神社をご紹介します。
自然の山々や霊山の神々
愛宕大権現のほかにも自然の山々の神様は多く祀られています。霊山・霊峰の神々を紹介します。