二荒山、女峰山、太郎山に鎮まる勝道上人ゆかりの神仏「日光三所権現(にっこうさんしょごんげん)」
日光三所権現とは
日光の名はこの地に聳(そび)える霊峰・二荒山(ふたらやま)の音読み「ニコウ」に由来するといい、二荒山の「フタラ」は、観音菩薩(かんのんぼさつ)の浄土とされる補陀落山(ふだらくせん)に由来するという。
二荒山(男体山(なんたいざん))を開いたのは奈良時代に実在した勝道上人(しょうどうしょうにん)である。上人は、人跡未踏の頂(いただき)への登頂に十六年もの歳月を費やしながらも、山頂と麓(ふもと)に二荒山の神を祀(まつ)り、千手(せんじゅ)観音を祀ったと伝えられている。
その後も日光は、関東を代表する神仏混淆(しんぶつこんこう)の霊場として堂社の数を増やしていき、鎌倉時代には、当時主流だった本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思潮をふまえ、三山(男体山、女峰山(にょほうさん)、太郎山(たろうさん))に所在する神仏を中心に山界曼荼羅(さんがいまんだら)が形成されていく。
そこで、三所権現(さんしょごんげん)とそれに対応する神仏の関係をまとめてみたい。
現在の二荒山神社の地に祀られたのが、新宮(しんぐう)権現である。主峰・男体山(二四八四メートル)の神霊で、男体大権現ともいう。男体の山頂にて勝道上人に影向(ようごう)したと伝わり、その場所とされる影向石が今も山頂に残されている。本地(ほんじ)は千手(せんじゅ)観音、垂迹神(すいじゃくしん)は大己貴命(おおなむちのみこと)。このほか、衆生利益(しゅじょうりやく)のために変じる相(そう)(応用の天尊)は大黒天(だいこくてん)とされている。
女峰山(二四六四メートル)の神霊とされるのが滝尾(たきのお)権現で、二荒山神社の北西に位置する滝尾社の影向石にて、弘法大師(こうぼうだいし)が示現(じげん)を賜(たまわ)ったと伝えられている。その霊威は著(いちじる)しいものがあるといい、江戸時代には神を侮(あなど)った僧が祟(たた)りを受ける一方、加地供養(かじくよう)した僧には秘法成就(じょうじゅ)をサポートしたという伝説が残っている。本地は阿弥陀如来(あみだみょらい)、垂迹神は田心姫命(たごりひめのみこと)、応用の天は弁財天(べんざいてん)である。
男体、女峰の御子(みこ)とされる太郎山(二三八六メートル)の神霊が本宮(ほんぐう)権現で、勝道上人が初めて庵(いおり)を結び、神を祀(まつ)った地(本の宮居(みやい))に祀られたためにその名がある。太郎権現ともいい、応用の天は毘沙門天(びしゃもんてん)で、本地は馬頭明王(ばとうみょうおう)、垂迹は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)。アジスキとは立派な鋤(すき)の意で、農耕神の性格をもち、旺盛な生命力をつかさどる神とされている。
日光三所権現の神格
- 日光山(栃木県)の守護神
日光三所権現のご利益・神徳
- 縁結び・招福(新宮)
- 子授け・安産(滝尾)
- 農業・漁業の守護(本宮)
日光三所権現の別の呼び方・異称
- 二荒山大神
日光三所権現を祀る主な神社・神宮
日光三所権現をお祀りする最も有名な神社は栃木県日光市に鎮座する二荒山神社です。
自然の山々や霊山の神々
日光三所権現のほかにも自然の山々の神様は多く祀られています。霊山・霊峰の神々を紹介します。