火山の霊威から人々を護る、坂上田村麻呂ゆかりの神「岩鷲大権現(がんじゅだいごんげん)」
岩鷲大権現とは
岩手県の北西部にそびえる岩手山。長い裾野(すその)を広げた標高二〇三八メートルの山は「南部富士」とも称され、古来、活火山として幾度も噴火を繰り返してきた。山頂部には噴火口をもつ東西ふたつのピークがあり、東側の新しい噴火口の内側に岩手山神社の奥宮(おくみや)がある。
雄々しさと猛々(たけだけ)しさを併せもつその山は、有史前から恐れられ、崇(あが)められてきた神の山であっただろう。山頂の南側に連なる屏風岩(びょうぶいわ)の形から古くは岩(がん)(巌)鷲山(じゅさん)と呼ばれていたが、その岩稜(がんりょう)は鬼ヶ城とも呼ばれ、鬼が住まう山とも言い伝えられてきた。伝承によれば、蝦夷征伐(えみしせいばつ)で知られる坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がその鬼を鎮(しず)め、大同二年(八〇七)、この山に巌鷲山大権現(がんじゅさんだいごんげん)社を祀ったのが岩手山信仰の始まりという。
また、この地に伝わる民話によれば、坂上田村麻呂の子供の「ノギの王子」が、山麓にしばしば現れて作物を荒らし、子供をさらう荒鷲(あらわし)を追って山頂に赴(おもむ)いたところ、鷲は神の姿となって現れ、王子に「この山を開き、守護神となれ」と託宣したという。
これらの伝承は、神仏習合の時代、岩手山の神が岩鷲大権現とも田村権現とも称されたことを説明するものだろう。鎌倉時代には、源頼朝(みなもとのよりとも)に従った御家人(ごけにん)・工藤小次郎行光(くどうこじろうゆきみつ)が岩手郡を与えられ、岩鷲山に奉(たてまつ)る阿弥陀(あみだ)・薬師(やくし)・観音(かんのん)の三尊像を賜(たまわ)って大宮司(だいぐうじ)に就任。以後、本地仏(ほんじぶつ)の三尊とその垂迹神(すいじゃくしん)である岩鷲権現からなる神仏一体の岩手山信仰が整えられた。
江戸時代には、三つの登山ルートの各口に新山堂が築かれ、山伏(やまぶし)が先導する参拝登山が隆盛。祭日の日、山麓の男たちは暗いうちから山に登り、日の出を礼拝したのち山頂奥宮に参拝し、守札(まもりふだ)や硫黄(いおう)、薬草などを持ち帰って五穀豊穣と無病息災を祈願したという。
明治になると、登山口のお堂は神社へと衣(ころも)替えし、三尊に対応する穀物の神・宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)と大名牟遅命(おおなむじのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))、日本武尊(やまとたけるのみこと)の三神を祭神として今日に至っている。
岩鷲大権現の神格
- 岩手山(岩手県)の守護神
岩鷲大権現のご利益・神徳
- 五穀豊穣
- 無病息災
岩鷲大権現の別の呼び方・異称
- 岩鷲山大権現
- 田村権現
岩鷲大権現を祀る主な神社・神宮
彦山三所権現をお祀りする最も有名な神社は岩手県岩手郡に鎮座する岩手山神社です。
- 岩手山神社(岩手県岩手郡)
自然の山々や霊山の神々
岩鷲大権現のほかにも自然の山々の神様は多く祀られています。霊山・霊峰の神々を紹介します。