過去・現在・未来に救済をもたらす蘇りの聖地「熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)」
熊野三所権現とは
熊野三山とは、吉野・大峯から連なる世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の和歌山県側に位置する熊野本宮大社、熊野新宮大社、熊野那智大社の総称です。
三山といっても、拠点寺院を本山というのと同じく、具体的な山を指しているのではありません。しかし、そこは重畳たる紀伊の山々に隔てられた「隠国(こもりく)」の霊場であり、山岳修行の拠点だったことも間違いではありません。
熊野川の中州の森・大斎原(おおゆのはら)に宮居を構えた熊野本宮。熊野川の下流に位置し、近くに熊野神が最初に降臨したという磐座のある新宮。直下133メートルの那智滝を御神体として祀る那智。それぞれ神が宿る場にふさわしい特徴をそなえており、もとはその信仰も個別に発生したと考えられます。
一方で都から見れば南の果てに位置する秘境なので、奈良時代ごろからとくに那智を中心に仏道修行者らがこの地に参入しています。平安時代の中期には、法皇の参詣を迎えるほどにその名を高めていきました。
そのころ高まりを見せていたのが、日本の神は本地(ほんじ)たる仏が仮・権(かり)に姿を現したもの、という権現の思想でした。
そして、本宮の神である家津御子大神(けつみこのおおかみ)には阿弥陀如来(あみだにょらい)、新宮の神である速玉大神(はやたまのおおかみ)には薬師如来(やくしにょらい)、那智の神である牟須美大神(むすびのおおかみ)には千手観音(せんじゅかんのん)の本地仏(ほんんじぶつ)があてられ、本宮は来世の救済、新宮は過去世の救済、那智は現世の利益をつかさどるという教義が成立したのです。さらにこれと歩を合わせるように、天台系修験道による三山一体の教団体制が確立しました。
こうして三山の各所でおたがいの祭神を合祀し、さらに九所の祭神をも合祀して、熊野の神は「熊野三所権現」または「十二所権現」として信仰されていきます。
院政時代には上皇貴族による熊野御幸が、中世には一般庶民を加えた熊野詣が爆発的に流行しました。今も「蘇りの聖地」と称される熊野の地盤には、このような過去、現在、未来を超えて救済をもたらすという熊野三所権現の信仰が脈打っているのです。
熊野三所権現の神格
- 熊野三山(和歌山県)の守護神
熊野三所権現のご利益・神徳
- 来世の加護(本宮)
- 当病平癒(新宮)
- 現世の利益(那智)
熊野三所権現を祀る主な神社・神宮
熊野三所権現をお祀りする有名な神社は、熊野神社である熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社です。
自然の山々や霊山の神々
熊野三所権現のほかにも自然の山々の神様は多く祀られています。霊山・霊峰の神々を紹介します。