Q.豊臣秀吉(とよとみひでよし)とは?

豊臣秀吉_サムネイル

出世開運にご利益のある豊国大明神として根強い人気を誇る「豊臣秀吉」

豊臣秀吉とは

豊臣秀吉は天文六年(1537年)、尾張国愛知郡中村に木下弥右衛門(きのしたやえもん)の子として生まれました。16歳のときに故郷を出て針の行商をするなかで、久能城主・松下加兵衛(かへえ)に拾われます。のちに織田信長につかえ、清州城の割普請(わりぶしん)、美濃墨俣(みのすのまた)の「一夜城」建設などの驚異的な活躍が認められ、急速に出世します。やがて長浜城を築く功績をあげ、織田家の重臣の一人となりました。

その後、明智光秀による本能寺での信長暗殺を知ると、山崎の戦いで光秀を討ちます。その功績を足がかりとして一気に人心を掌握し、天下取りに邁進します。大阪城築城を遂げたころ、朝廷より従三位権大納言をへて従一位関白を授かります。さらに御陽成天皇の即位にともなって太政大臣に就任し、豊臣秀吉を名のりました。

有力な武将である徳川家康と協定を結び、近畿地方の検地を行い、九州を平定し、刀狩令を実施しします。その後、小田原攻めにより北条氏を滅ぼし、これにより戦国の世はほぼ平定されて天下統一がなし遂げられました。

天正十九年(1592年)、甥の秀次に関白を譲り秀吉自身は太閤となりますが、慶長三年(1598年)に伏見城で病によって亡くなります。

翌四年から没後埋葬された阿弥陀峰のそばに、秀吉を祀る社殿の建立がはじまります。同じ年に朝廷から豊国大明神、正一位が下賜されました。しかし徳川家康によって豊臣家が滅亡すると、社殿は荒廃しました。復権再興されたのは、明治期になってからのことです。

大阪市にある豊國神社の由緒によれば、明治元年(1868年)の明治天皇の大阪行幸の折り、国家に大勲労のあった太閤秀吉を奉祀するようにとの命が下ります。これを受けて明治六年(1893年)に京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿が造営されました。

また大阪には別格官幣社である豊國神社の別社として、中之島字山崎の鼻(現中央公会堂)に、明治十二年(1879年)11月に豊国神社の社殿が創建されたといいます。一介の足軽から天下人までのぼりつめた生涯にちなんで、出世開運の神とされ、篤い信仰を集めています。

豊臣秀吉のご利益・神徳

  • 出世開運
  • 学業成就
  • 家内安全

豊臣秀吉の別の呼び方・異称

  • 豊国大明神
  • 木下藤吉郎秀吉

豊臣秀吉を祀る主な神社・神宮

豊臣秀吉をお祀りした最も有名な神社は大阪に鎮座する豊國神社でしょうか。他にも、

  • 豊国神社(京都市東山区)
  • 豊国神社(愛知県名古屋市)
  • 各地の豊国神社

などがあります。ここでは京都市東山区にある豊国神社をご紹介します。

Q.豊国神社とは?|ご利益・アクセス・駐車場など
豊国神社は京都市東山区大和大路正面茶屋町にある神社です。豊国神社のご利益やご祭神、参拝日・参拝時間・所要時間・拝観料・御朱印などの参拝に役立つ情報、駐車場・地図などの行き方・アクセスの情報を掲載しています。参拝や初詣の前にご覧いただくと理解が深まるでしょう。

歴史上の人物からうまれた神々

豊臣秀吉のほかに、神として祀られている歴史上の人物を紹介します。

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