王政復古の大号令を発して中央集権体制の確立を推進した最高の権力者「明治天皇」
明治天皇とは
明治天皇は第122代目の天皇で、名を睦仁(むつひと)といいます。嘉永五年(1852年)に先代の孝明天皇の第二皇子として生まれました。孝明天皇の崩御を受けて慶応三年(1867年)1月に践祚されます。その年の10月に徳川慶喜による大政奉還が行われました。同年12月、明治天皇は王政復古の大号令を発動して天皇親政が復活しました。以降46年の間、在位しました。
翌年の1868年には「五箇条御誓文」が発布され、同年8月に即位礼がとり行われました。その翌年1869年には江戸への奠都(てんと)があり、明治政府が機能し始めます。
明治天皇自身が直接政治にかかわることはなく、実態は岩倉具視らの明治新政府が政治を行いました。つまり政治の実権が、江戸幕府から明治新政府へと移行したにすぎませんでした。明治天皇は新政府の運営、富国強兵を称揚するために「天照皇大神宮(アマテラスオオミカミ)の御子孫」といわれて神格化されました。つまり「この世の初めより日本の主」として、生きながらの神である現人神(あらひとがみ)に祀りあげられていきました。新政府にとって、明治天皇は神である必要があったのです。
とはいえ、明治天皇には人間味あふれる、豪放にして緻密、温かく柔軟、真摯にして謙虚な逸話が多く残されています。このことから、お仕着せのカリスマ的存在ではなかったことが推察できます。
いずれにしても明治天皇の御代に、時代は大きく変動することとなります。初めての日本国憲法が発令され、日露戦争の勝利とともに対外活動も活性化し、急激な近代化が推進されました。
明治45年、体調を崩した天皇は7月30日に崩御されます。そして8月に「明治天皇」と諡号(しごう)されます。その後、国民の明治天皇に対する思いは高揚し、貴族院、衆議院の決議をへて、大正二年(1913年)に明治神宮の創建が決議されることとなります。その最中に昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が崩御され、合祀されることとなりました。
その後、明治神宮造営局が設けられ、両陛下ゆかりの代々木御陵地(よよぎのみささぎのち)が社地として選定され、1945年8月に明治神宮の社殿が竣工しました。
明治天皇の神格
- 近代日本の指導者
明治天皇のご利益・神徳
- 国家安泰
- 家内安全
- 学業成就
明治天皇の別の呼び方・異称
- 明治大帝
- 睦仁大帝
- 祐宮
明治天皇を祀る主な神社・神宮
明治天皇を祀った最も有名な神社は東京都渋谷区に鎮座する明治神宮です。
次い北海道札幌市に鎮座する北海道神宮でしょう。
歴史上の人物からうまれた神々
明治天皇のほかに、神として祀られている歴史上の人物を紹介します。