受験生の守護神として圧倒的な人気を誇る「天神さま」「菅原道真」
菅原道真とは
菅原道真は、平安初期に活躍した学者です。九州の太宰府天満宮をはじめとする全国の天満宮・天神社の祭神であり、学問の神としてとても有名です。承和十二年(854年)、代々著名な公卿で儒者の家に生まれました。
32歳にして文章博士となり、讃岐に赴任します。このときの讃岐赴任は、早すぎる出世を妬んだ学者仲間たちの画策による左遷でした。しかし4年の赴任を経て帰京すると、宇多天皇に重用されます。
寛平六年(894年)には遣唐使に任ぜられますが、このときすでに唐は凋落し、渡航に要する財政負担も大きかったことから、遣唐使制度そのものが廃止されます。
同九年、学者としては異例の権大納言兼右大将に昇進します。さらに昌泰二年(899年)には醍醐天皇が即位し、ライバルだった藤原時平とともに右大臣兼右近衛大将に昇格しますが、天皇の廃位を企てているとの時平の讒言(ざんげん)によって延喜元年(901年)に太宰府に左遷となります。これを昌泰の変と呼びます。
そもそも学者としてこれほどの高位に就くこと自体が、疎まれた最大の原因だったと考えられます。このあたりの事情は、吉備真備にも共通します。
これにより、菅原家一族はことごとく失権し、延喜三年には道真は失意のうちに病に倒れてしまいます。現在の太宰府天満宮は、道真の埋葬地である安楽寺に、同五年に建立されたものです。
さてこの後、京都では異変が続します。まず御所の紫宸殿に落雷があり、時平はわずか三十九歳で急逝してしまいます。そして同じ時期、託宣によって一連の怪異の真因は道真の祟りであるとの風評がひろがると、道真に対する民衆の同情が高まります。それ以降、道真は天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)、つまり雷神として崇められるようになっていきました。
正暦四年(993年)には、朝廷より正一位左大臣、ついで太政大臣が追贈されました。今日では豊饒と農耕をつかさどる雷神の性格に加え、賢臣であった道真の威徳から学問の神・受験生の守護神として全国で篤く信仰されています。
菅原道真の神格
- 学問の神
- 受験の神
菅原道真のご利益・神徳
- 受験合格
- 学業成就
- 病気平癒
菅原道真の別の呼び方・異称
- 天満天神
- 天満大自在天神
菅原道真を祀る主な神社・神宮
菅原道真をお祀りした神社は、太宰府天満宮・北野天満宮・大阪天満宮など有名な天満宮が数多くあります。
歴史上の人物からうまれた神々
菅原道真のほかに、神として祀られている歴史上の人物を紹介します。