「八幡さま」として親しまれ、全国二万余の社に祀られる武神「応神天皇(おうじんてんのう)」
応神天皇とは
応神天皇は、「八幡さま」として広く親しまれる八幡神社の祭神です。大分県の宇佐八幡宮を総本社として、全国に二万余にのぼる分社があるといわれています。
「応神」というのは、死後の漢風諡号(かんふうしごう)です。書籍などには「応神天皇」という名前で登場するので、多くの人にとってなじみがありますが、八幡神社の祭神としては、「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」または「品陀和気命」の名が用いられます。
父は第14代・仲哀天皇、母は神功皇后です。古事記や日本書紀によれば、神功皇后は神託によって、身重の体で新羅へ出兵しました。その間、生まれそうになる腹の子を押さえ、帰国してすぐ、筑紫国において出産したといわれています。
この地は宇美(うみ)と名づけられました。今日そこには、神功皇后・応神天皇の母子に、玉依姫(たまよりひめ)を加えた三柱の神を祭神とする宇美八幡宮が鎮座しています。これら三柱の神を祭神とするのが、全国の八幡社のかたちです。
しかし、なぜ応神天皇が八幡さまとして信仰されるようになったかという経緯は、明らかになっていません。また、玉依姫が本当は何ものであったか、あるいは応神母子との関係、そもそも八幡神とは原初、どのような神であったのか……など、八幡信仰にまつわる謎は多く残っています。
たとえば、平安後期に成立した歴史書『扶桑略記(ふそうりゃっき)』によれば、第十九代・欽明天皇の御代に八幡神が現れ、応神天皇と名のったと記されています。八幡神はのちに武家の統領たる源氏の守護神として信仰され、武神としての色彩を強めていきました。
応神天皇が実在の人物であるかどうかは微妙なところですが、応身天皇の御代である歴史上では四世紀ごろに、国家という形態がある程度まで整い、朝鮮半島から漢字をはじめとする多くの知識や文物が流入してきたと考えられています。
そうした渡来系の民が九州の地にもたらした信仰や伝承が、のちの八幡信仰の礎になった可能性が高いでしょう。
応神天皇の神格
- 文武の神
応神天皇のご利益・神徳
- 国家鎮護
- 殖産興業
- 勝運招来
応神天皇の別の呼び方・異称
- 誉田別尊
- 品陀和気命
- 大鞆和気命
応神天皇を祀る主な神社・神宮
応神天皇をお祀りする神社で有名な神社は、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮・福井県敦賀市に鎮座する気比神宮などがあります。
他にも、全国各地の八幡社で祀られています。
歴史上の人物からうまれた神々
応神天皇のほかに、神として祀られている歴史上の人物を紹介します。